おじゃまします ―協豊会 竹中東海地区副会長に聞く―
 協豊会広報委員会は11月9日(月)、岐阜県大垣市のイビデン株式会社本社に於いて、竹中代表取締役社長にインタビューを行いました。
 竹中社長には会社概要、沿革、企業体質の強化へのお取組みや、東海地区副会長として協豊会活動へのお考えや思いなどのお話を伺いました。
■ 会社概要、沿革についてお聞かせ下さい ■
<100年をふりかえって>
 当社は岐阜県大垣市にあり、3年前に創業100周年を迎えました。
 大垣は、幕末まで美濃地方の雄藩として大いに繁栄しました。しかし、明治になってから岐阜県の政治の中心は岐阜市に移り、産業の面でも、鉄道の時代となり要衝桑名への水運は廃れ、大垣は凋落の一途を辿りました。
 そこで、地元の名士が集まって揖斐川の上流に水力発電所をつくることを計画しました。この電力によって大垣を再生しようと考えたわけです。この時の揖斐川電力という会社が私どものスタートです。
 この水力発電は工業化を図る大きな原動力となり、大垣に多くの電気化学会社や紡績会社が進出して頂けました。その後、色々と変節はありましたが、大垣は岐阜県内で有数の工業地帯になりました。こうしたことから、会社を興した最初の目的は実現されたと言えます。このように、当社は水力発電所から始めたのですが、実は創業時から電力の売り先確保に悩まされました。この対応に、余剰電力を有効に使おうと、自社で電力を使う電気化学事業の兼営に乗り出しました。この事業開始が、モノづくりの会社としては、私どもの本格的なスタートだったと思います。
 カーバイドや石灰窒素(肥料)を主力製品として電気化学事業を広げていきましたが、戦後になると電気化学の主役は石油化学に取って代わられ国際競争力を失いました。そこで当社は石灰窒素から誘導されるメラミンを使い、メラミン化粧合板を主力製品として住宅建材の製造に転身しました。私が入社した40年ぐらい前は、電気化学製品の売り上げは半分に減少し、残りの半分は建材製品に変わっていました。今から思うと、当社の最も苦しい再構築の時期に入社したわけです。

<新製品の開発で事業が激変>
 当社は時代ごとに事業を変化させながら生き残ってきました。その中でも、最も大きな転換を遂げたのは直近の20年です。当時、日本の経済はバブルが崩壊して、“失われた10年”(今では“失われた20年”とも言われています)に入るころでした。その頃、当社の主力になっていた建材も住宅着工件数が減少に転じ、大変厳しい状況に追い込まれていました。そんな中で当時の経営陣がイビデンを何とか再生させようと新製品開発に会社のリソースを集中させたわけです。
 当時の当社の主力事業の電気化学や建材はほとんど国内のお客様でしたが、20年前の新製品開発からはお客様を世界に求め、最初からグローバルNo.1になるという命題を掲げ、リソースを集中させた各プロジェクトが実行しました。五つの開発プロジェクトがスタートし、その中のコンピュータ・通信用の電子部品と自動車用のセラミック部品が事業化に成功して今日のような事業形態に変化してまいりました。
 こうして、直近の20年の間に、当社の製品群の70%が新製品に切り替わりました。また、国内一辺倒だったものが、海外顧客比率も70%へ、海外生産比率は50%へと変わりました。本当に激変した20年だったと思います。


■ 企業体質の強化へのお取組みについてお聞かせ下さい ■
<体質強化は『現地・現物・自掛り』で>
 開発の成功により、この20年間で売上は確かに2倍、3倍と膨れ上がりました。しかし、売上の急増の結果、リソース不足の状況に陥りました。さらに、グローバル化の拡大戦線が伸び切った時に、リーマン・ショックに襲われました。ひとたまりもなく業績が奈落の底まで転落してしまいました。
 何とか立て直さなければいけないと一生懸命に努力するのですが、悪いことに、当社主力の一つであるコンピュータ市場が、考えもしなかったマイナス成長に入ってしまいました。結果として、100周年を迎えた2012年には、業績が最悪になってしまいました。
 確かに厳しい業績だが、どうしてここまで悪くなったのか大きな反省点がありました。
それは、当社のモノづくり力の原点は、1989年に導入したTPM活動にあるのだということです。当社TPMは豊田自動織機さんにも現場指導をお願いし、中身を伴ったものにして頂けたものでもあります。このモノづくりのベースがあったおかげで近年の急成長が成し得たと思います。
 しかし、あまりの急成長によるリソース不足が、設備メーカーや外注に頼りすぎてしまう状況を生んでいました。頼りすぎにより現場の競争力が低下していたのです。
 このような状況に、当時の岩田会長(現相談役)から「全員パソコンを離れて現場に出よう」という一言がありました。忘れていた訳ではないが、やはり苦しい時こそ現地、現物でTPMの原点に返らなければいけません。これが大きな反省点でした。
 「現地・現物・自掛り」を101年目からの企業方針としました。現地・現物はトヨタさんの言葉ですが、これに「自掛り」という言葉を付けました。「自掛り」というのは、岩田相談役が日常使われている言葉で、「人に任せず、自分でやる」という意味です。
 それから3年になります。「自分でやる」と手間も時間もかかり、外に頼んだほうが手っとり早いこともあるのですが、「自分でやる」と充実感や達成感が大きく違います。そして何より人が育つのです。幾多の困難にぶつかった時にはやっぱり人材が頼りです。自掛りで人を育てながら次の100年に向かいたいと思っています。


■ 安全・品質・環境・CSRなどのお取り組みについてお聞かせ下さい ■
<CSR経営の実現>
 私が社長になったのは2007年で、会社の経営方針の一つをCSR経営としました。トヨタさんが「トヨタウェイ」で求心力をもって走られるのを見て、ちょうど「イビデンウェイ」が前年に制定されていましたから、それにつなげる社内の規程の再整備から始めました。
 「イビデン行動憲章」から「お取引様CSRガイドライン」まで、また対象を社員からサプライチェーンまで、全部ひっくるめて基準書類を再整備して、CSRレポートも発行しました。海外の多くのお客様から受ける定期監査に対しては、基準が完成していましたから比較的良い成績を収めることができました。
 しかし前にも申し上げたように、5年後の100周年の節目の年に、業績が最悪となり、CSR経営も業績に繫がらないうわべの形だけだったと反省をする結果となりました。経営陣そのものが「現地・現物・自掛り」になっていなくて、形式だけにこだわっていたようです。
 101年目からは現場目線のCSR経営をめざしています。基準類も現場目線で見直しました。たとえば、品質のマネージメントシステムは環境や安全と別々に管理していましたが、現場からすると、安全があって、さらに環境に配慮し、その中で良い品物をつくるのは当然なのです。別々の管理で、現場を混乱させるようでは何のための基準類かということになります。現場目線で全てのマネージメントシステムの必要な統合活動を始めたところです。

<環境と省エネ>
 2000年代に入り、世界では地球温暖化・省エネの問題が強く取りざたされています。当社は始まりが電力会社ということもあって、エネルギーについてはこだわりがあります。
 私どもは水力発電所から自前の送電線で現在も大垣地区の工場に電気を送り続けていますが、水力はお天気次第で出力がばらつくのが弱点です。この弱点の対応に、1990年代の初めにコージェネレーションを大垣地区の各工場に導入して、自家発の水力で3分の1、火力で3分の1を賄い、足らない分を中部電力から購入するようにしています。自前の送電線で各工場がつながっていますので、今で言うスマートグリッドが完成しているわけです。エネルギー効率は最高のレベルにあると言えます。また、現在は水力発電所をFIT(再生エネルギー買い取り機構)対応に切り替えつつあり、電力不足への協力も進めています。
 当社は連続操業の工場が多いので、今後も安定的に中部電力から購入する必要性があります。このようにして電力需給の地域最適を目指していくつもりです。
 また自然を大切にする心を育むために、岐阜県庁、揖斐川町そしてNPO法人の方々と「イビデンの森」を育てる活動をしています。年に何回かの活動には、社員の家族、OBの方々、山林組合や地元の方々が大勢参加していただけます。当社のルーツの水力発電所の隣接地をメインの活動の場にして、9年前から山桜など花の木を累計1000本植えました。10年20年後には、一大名所になっていると思います。


■ 協豊会東海地区の副会長としてのお考え、メッセージをお願いします ■

 私がいままでずっと疑問に思っていたのは、なぜ東海地区はモノづくりの会社の層が厚いかということです。大企業から中小企業まで、それぞれ世界に通用する技術を持った会社が沢山集まっています。
 その意味が協豊会に入ってはじめてわかりました。トヨタさんは協力会社と共に成長するという信念が強固で、この活動の中であらゆる面のベストプラクティスを勉強させていただけるのです。協豊会を始め、すべてのサプライチェーンが鍛えられて東海地区のモノづくり集団が出来上がったのだと思います。
 協豊会活動を更に深めることによって、各社が更に強くなり、結果として地域のモノづくり力も高めていく。そういうことに微力でもお役に立ちたいと思っています。


■ ご趣味、座右の銘についてお聞かせ下さい ■
<『今を生きる』を座右の銘に、ゴルフでリフレッシュ>
 「今を生きる」というのを座右の銘にしています。武士道を説いた「葉隠」に出てくる言葉です。「二度とない今という人生を果敢に生きる」という意味です。
 私は大垣よりさらに田舎の育ちで、おっとりと育ってしまいました。そういう人間はこのような言葉で背中を押してもらわないと「前向きの人生を生きられない」ということで座右の銘にしています。
 趣味はゴルフです。58歳でシングルになって、今はハンディ7です。ゴルフ場に行くと四季の移り変わりが感じられる。そして歩くことは大変健康に良い。健康とリフレッシュには最高ということで、ゴルフ場がクローズにならない限りは厳冬でも猛暑でもプレイします。10年ほど前、子どもの手離れの時に家内にゴルフを勧め、始めはいやいやでしたが今では自分から友達と行くようになり、家庭の話題はゴルフばかりです。休みは2人で温泉地めがけてゴルフ旅行をしています。



本日はお忙しいところ、ありがとうございました。


竹中社長(中央)を囲んで・・・
   石塚広報委員長 (太平洋工業㈱ 取締役副社長):中央左 
   前田広報副委員長 (㈱メイドー 常務取締役):中央右 
   小谷事務局長 :右 
   大村事務局次長 :左 

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