◆日本板硝子さんの会社概要と沿革についてお聞かせください。
1918年の創業で、今年で92年となり、暫くすると100周年を迎えます。九州若松にて工場を建設し、米国資本と合弁にて日米板ガラス㈱として発足しました。家庭用ガラスの生産からスタートしまして、以来日本の需要拡大に伴い工場を各地で建設しまして、現在国内には6工場あります。終戦当時に、この会社には米国資本も入っていたため、配当金をしっかりと蓄えていまして、当時のJVに配当金を払いました。日米戦争の中、企業としてのスピリットをしっかり持っていたと評価され、当時不足していた原燃料をGHQから優先的に貰うことが出来ました。
1931年に日本板硝子㈱として現社名に変更しています。当時から、住友財閥の企業の一つでしたが、戦後に財閥が解体され、その後戦後復興のフォローの風に乗って、事業を急拡大しました。
1965年にピルキントン社が発明したフロートガラス製法をアジアで最初に当社の舞鶴工場に導入しました。従来の製法は両面を研磨していたため、非常にコストも高く、生産性も悪く、歩留まりも低かったのですが、この革新的な製法は両面とも研磨する必要がなく、その結果、画期的に品質は向上し、コストも改善し、価格も安くすることが出来ました。
戦後と最近の物価において変わらない商品が3つあると言われています。
セメント、卵、そしてガラスです。それだけこの60年間にガラスにイノベーションが起こったと言えます。その1つがこのフロートという画期的な製法なのですが、そういう意味では、我々も社会、産業界に大いに貢献しているはずだと自負しています。
◆買収当時の経緯についてお聞かせください。
21世紀を迎えるに当たって、どうしても日本のガラス市場は、需要減によりシュリンクしていくため、いつまでも日本、アジア中心のビジネス展開では我々は将来生き残れないはずだという議論が社内にありました。
当時は、国体選手じゃなくて、オリンピック選手を目指そうという言い方で、我々の視点を全世界に向けるべきだと考えました。ただ単独での展開では、資金や時間の制約もあるため、同様の考えを持っていたピルキントン社と一緒になれば、世界一のガラスメーカーになれるという思いで、統合に至りました。ピルキントン社は、当社の2倍の売上高でしたが、双方合意の上で、日本板硝子がピルキントン社を買収する形を取りました。
4年前に一気に1アジア企業が、世界のグローバル企業になり、今本格的な統合を行っていますが、まだ一里塚だと考えています。現在は、3つの事業がありまして、売上高では建設用ガラス事業45%、自動車ガラス事業45%、スペシャリティグラス事業が10%を占める構成になっています。スペシャリティグラスは、旧日本板硝子が行っていた事業で、ディスプレイ、デバイス、ガラス繊維コード、パウダー等の情報電子産業向けグラスで、利益率では全社平均を上回っております。
◆グローバル企業として統合へのお取り組みについてお聞かせください。
旧ピルキントン社は、やはりグローバル経営では経験に長けていることや日本人経営による反発の懸念もあり、統合をよりスムーズに進めるために、旧ピルキントン社長であったスチュワート氏を統合会社の社長としました。最初は、日本人が社長でないことに抵抗を覚える人も居た様ですが、今では世界でビジネスをしているグループ会社だということで、そのような意識も薄れてきています。
統合を進めるにおいて、日本の良いところと欧米の良いところがあります。
欧米では、トップダウン、指示待ちの体質がありますが、日本には「双方向コミュニケーション」という良い習慣があります。手間隙はかかるが、部下を育成するのに大切なのは、「情報」と「情熱」であると私は常々言っています。ここが日本式の良さだと思います。部下に充分な情報を与え、案を複数考え、その中から上が選択をする。「双方向コミュニケーション」は、日本が編み出した人材を育成する上での非常に良い手法です。
また欧米では、自分たちの立てた年度予算は絶対に守る、達成するためにあらゆる手段を尽くすということがあり、これは良いところだと思います。
また意志決定が早いというのもあります。
社内融合には時間がかかりますが、必ず出来ると思います。一般的に日本と海外では同じスペシャリストでも、日本の方が幅広く浅くカバーしますが、海外では資格を持っている人も多く、専門性は狭いが深いプロが多いと感じています。このような違いはありますが、ビジネスを行いながら異国の文化や価値観に触れるという意味でも、お互いの人材交流を積極的に進めたいと思います。
またグローバル企業としても、短期だけでなく、中長期を考えた対応が必要であり、5年後、10年後の姿を描きつつ、今何をすべきかを考えなければならないと思っています。
◆「安全、品質、環境」などの取り組みについてお聞かせください。
安全、品質について、欧米はまだ満足できるレベルではありません。
アジア品質はダントツで良く、日本では工程で品質を作りこんでいきますが、海外ではその意識が低い状況であり、不満を感じています。勿論、決定的な品質問題は無くて、外観品質の話になります。ただ海外のユーザーの要求レベルが日本とは違うという問題があり、日本の基準が厳しく、グローバル基準で品質を見るということが難しいと感じています。
環境について申し上げますと、ガラス製造はエネルギー多消費産業でありますが、一方でガラスそのものを使った熱線カット等の省エネが可能です。
使用段階まで評価すると充分ペイ出来ます。たとえば、ソーラーガラスを製造するエネルギーに対して、使用後1年間ですぐにその分を回収、ペイバック出来ます。勿論、製造段階でのCO2削減にも取り組んでいますが、環境性能に優れたガラスを開発、使用頂くことでエネルギー還元という点で社会に貢献できるはずだと思っています。
これからは環境問題がキーワードになりますので、我々の新中計の骨子の一つとして、環境負荷軽減を図る付加価値の高い技術、商品づくりを目指そうとしておりまして、ソーラーガラス、軽量化ガラスの開発に力を入れています。今までの「環境白書」から、企業が継続して発展していくために何が必要か、社会の要求にどう応えていくかという観点で、環境だけでなく、「サステイナビリティ」という言葉に代えて、全世界で統一しています。
◆関西地区幹事としての協豊会活動についてのお考えをお聞かせください。
今までの協豊会活動では、双方向コミュニケーションを大事にしながら、結束し、いかに各社がトヨタさんの全世界展開についていくかでしたが、これからはもっと大事になると思っています。
将来、EV、HVが増加し、車がビークルという役割だけでなく、電気エネルギーの発電、蓄積、供給等のスマートグリッドを担うことになり、車を核とした社会インフラが出てくることになります。そうなれば、協豊会は最先端技術をもった企業の集団ですので、トヨタさんと結びつけば、さらに世界をリードできる仕組みづくりが出来るはずです。これからは、より協豊会の存在価値が増してくると思っています。
また仲間意識が作られる場が一番多いのが、協豊会です。
都市対抗やラグビーの応援にも参加させてもらって、楽しくさせて頂いてます。
◆健康管理、ご趣味、ご信条についてお聞かせください。
体を動かすのは好きで、最近するのはゴルフぐらいですが、スポーツ観戦も好きですね。あと学生時代からクラシックに凝ってまして、当時モーツァルトやショパンを毎日聞いてまして、今でもコンサートは年に家内と14、15回ぐらい行ってます。最近は高じまして、今年は都はるみ、坂本冬美、石川さゆり、フリオ・イグレシアスのコンサートに行きまして、特に都はるみのコンサートは本当、感動しました。
「虎」に関しては、私は甲子園の横で生まれまして、小1の時に父に連れられて、阪神巨人戦に行ってファンになって以来、60年間1回も浮気してません。熱烈な阪神タイガースファンで、今年応援しに行った戦績は5勝2敗でした。また東京のトラキチ会の副会長しておりまして、だいたい東京の財界トップ100人ぐらいがメンバーになっています。今年の成績については、大いに不満で、今度オーナーや球団社長に会う機会もありますので、意見言おうと思ってます。
「先憂後楽」という精神が好きでして、プロジェクトを行う際に、どれだけ幅広くリスクを予知して、手を打てるかが非常に大事であり、そして事がうまく運んだ時に後で楽しむということです。長く工場勤務をしていたこともあり、現場では安全、環境、歩留まり等のいろいろな問題が起こりますが、普段からこのような問題の時はどう対処するかを考え、2、3つの解決策を心の中で準備しておくことが非常に大切だと考えています。部下にも実践するように言ってますが、この考えを長く実践していると不思議と現場での問題点がすぐに分かるようになります。
◆最後に一言お願いします。
私どもの企業のグローバル化は、他の日本企業のグローバル化プロセスとは違い、完成された企業同士の融合でして、これからは新NSGグループとして融合させたフィロソフィーを完成させ、浸透させていくことに力を入れて進めていきたいと思います。
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